01


 それはとても、とても優しい声で。


 全てを包み込んでくれるような、暖かな日差しが心地いい。柔らかい日光に目を細めると、そよ風が頬を撫でた。
 辺り一面は芝生に覆われ、色とりどりの花が身を揺らして笑っていた。桃色の花弁が風と共に空へ浮かぶ。思わず手を伸ばし、そのうちの一枚を掴み取る。手の中の花弁は確かに息づいている。

「どう? とても素敵でしょう?」

 草原に立つ、たった一人の少女がこちらへ微笑みかけた。白髪がとても美しい、齢二十にも満たない外見の少女だった。橙色の瞳を輝かせると、少女はこちらに歩み寄る。少女に合わせて花達は退け、緑色の道が出来る。太陽の温もりに眠気を誘われた。
 少女との距離が縮まったところで、彼女は首に巻いた黒いマフラーを指先でなぞった。この気温には似合わない、大きく、とても長いマフラーだった。

「私、貴方とずっとこうしていられたらなって思うの」

 少女は照れ臭そうに呟いた。白髪は腰辺りにまで伸びている。束ねて口付けると、少女は小さく「よしてよ、恥ずかしいじゃない」と笑ってみせた。
 マフラーはそよいでいる。目で追うとその先は、糸がほどけボロボロになってしまっていた。少女は言う。

「そんなに欲しいならこれ、あげるわよ。私にはうっとうしいくらいだし、貴方が巻いても長いくらいじゃない。ちょっと屈んでちょうだい」

 言う通りに腰を屈めると、少女は背伸びしてこちらの首に黒いマフラーを巻き始める。少女の体温かはたまた太陽の温もりかは今となってしまってはわからないが、マフラーはほんのりと温かかった。
 首元で器用に蝶々結びをして、少女は満足そうに頷く。少しだけ、喉元が窮屈だ。

「うん、似合っているわ。とっても素敵よ」

 彼女の笑顔が、大好きだった。





「…………あ……?」

 時計の秒針の音で、パチリと目が覚めた。体が鉛のように重い。鼻孔をくすぐるのは、あまり好んでいない薬品の臭いだ。 視界は所々黄ばんだ白い壁で埋まっている。
 ここは、恐らく黒兎が腰を据えている隠れ家の一室だろう。自分はいつの間にか気を失って、そうしてここに運び込まれ、ベッドに横になっていた訳だ。
 不思議な夢を見ていた気がする。
 腕に力を入れて起き上がろうとすると、左腕に激痛が走った。瞬時に過去のことが脳裏を駆け巡る。イユは怪訝な様子で小さく舌打ちをした。自由に体が動かないと、どうにもむしゃくしゃしてしまう。

「起きて早々舌打ちとは、お前も随分偉くなったものだな」

 視界の隅で黒いものが蠢いた。視線をスライドさせると、頭上に黒く縦に長い獣の耳を生やした青年が両手で試験管を摘まんでいる。首辺りにまで伸びている髪は、赤色がかった黒髪だ。右目は血が滲んだ眼帯が覆っており、自由な方の左目は淀んだ紫色を灯している。
 黒衣を着ているが、中にはラフなワイシャツが顔を覗かせている。白色だが緑や赤、青など様々な色の飛沫が飛び散っていた。黒いネクタイはゆったりと絞められている。
 眼帯の青年は冷めた目でイユを眺めていた。

「その様子じゃまだ動き回れやしないんだろう。大人しくしているがいい」
「うるさい」

 口角を上げて、まるで見下したような態度でそう言った青年にイユは睨みかかった。けれど青年は鼻で笑うと、試験管の中身をスポイトで少量吸い取り、ビーカーに投入する。イユのことなど端から視野にない様子だった。
 イユは再び舌打ちをする。眼帯の青年のことは、ダリほど嫌っていない。けれど他者を蔑むようなこの態度だけは、どうにも気に食わなさを感じていた。

「そういうところ本当にムカつく。ユギは性格悪い」

 悔し紛れに呟くと、眼帯の青年――ユギは手を止めてイユを見た。先程の冷たい視線でも、見下ろすような態度でもない、普通の様子で。

「私の性格が悪いだなんて、そんなことは今更だな」

 言いながら、ビーカーに入っている液体をガラス棒でかき混ぜる。液体は徐々に光を放ち始める。妙薬でも作っているのだろうか。
 仄かに輝いている液体を、ユギは満足げに見た。それからイユが座っているベッドの方へ歩みより、液体が入ったビーカーを素っ気なく差し出す。ちゃぷんと音を立てた。

「飲め」
「は?」
「飲めと言っているんだ」

 きっぱりと言い捨てて、彼はイユにビーカーをぐいぐい押し付ける。抵抗ができないことを知っての行動だ。悪意に満ちたその行為に、イユはますます気分を害されていく。
 眉間にしわを寄せると、イユは小さく唸った。

「嫌だ」

 そしてユギの手に盛大に噛みついた。
 屋敷に男の絶叫がこだました。








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